日記第三版


Aug 04, 2013 (Sun)

# 堀辰雄『風立ちぬ』

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)(堀 辰雄)

宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観て、原作(?)も読んでみました。映画の筋とはあまり関係ないことは知っていましたが、それはそれで、堀辰雄くらい教養的に読んでおこうかと。堀辰雄の文章、これと張り合えるのは夏目漱石か芥川くらいかと思うくらいに僕にとって美しい文体でした。

結核を患う節子と主人公との淡い恋と命の物語。当時、結核の治療薬はなく*1、死を意識せざるをえない病です。空気が綺麗なところで安静にすることが治療といってよい。1935(昭和10)年、結核療養のために節子が信州のサナトリウムに滞在、主人公も付き添ってそこで過ごすのですが、死の影が迫ってこようとも、愛をまっとうして2人の生活を守りたい。そんな主人公の気持ちが独白として語られます(この実体験をもとに堀辰雄は『風立ちぬ』を執筆しました)。

私達のいくぶん死の味のする生の幸福はその時は一一そう完全に保たれた程だった。

未だにお前を静かに死なせておこうとはせずに、お前を求めてやまなかった、自分の女々しい心に何か後悔に似たものをはげしく感じながら……

節子の実家はお金持ちのようですし、主人公も小説家ですが書かなくても書いてもお金の心配をしなくてもよい境遇のようでした。『風立ちぬ』は恋と生と死はあっても、生活感がまったくしません。サナトリウムで結核に蝕まれつつも、2人の生活を育んでいる。病気になったら我が子はどうなるのだとかは、誰が稼ぐのか、という心配が出てきません。死は愛する人を失うことだけなのです。現実とのリンクがない。どこか別世界の物語のように、堀辰雄の美しい文体がさらに幻想的な雰囲気に仕上げているように思いました。

調べてみると、舞台のサナトリウム、 旧富士見高原療養所資料館の入院料を調べてみると、もっとも安い部屋でさえ当時の小学校教員の初任給を上回り、主人公たちが滞在したと思われる部屋は、経済的に裕福な家庭でなければ入れなかった場所のようでした。公立の結核療養所は治療というよりも、治る見込みのない重度の結核患者を隔離する性格があったとすれば、このサナトリウムは死を意識するものが多いとしても、違う雰囲気が漂っていたと思うのです。少なくとも小説からはそう伺えます。

家庭が裕福な人の闘病生活はリアリティがない、と言いたいわけではありませんが、少なくとも『風立ちぬ』は生活のリアリティがない幻想的な世界だなぁと。それだけに生と死と愛だけがオブラートに包まれないまま提示されるのですから、残酷かもしれないなぁという読後感がありました。

堀辰雄を読んでなぜか思い浮かべたのが小林多喜二でした。彼の文体は下手くそでお世辞にも綺麗で読みやすいとは言えません。荒削りでがんがんと労働者の粗野な日常を描いています。小林多喜二は警察の拷問により殺され、堀辰雄は自身も結核のため、晩年は創作活動もできず死んでいきます。堀辰雄と小林多喜二は同時代人のはずと調べてみると1歳違い。同じ時代を生きていて、堀辰雄もプロレタリアート文学と無縁ではなく接点があったそうですが、このような幻想的な世界観の小説を描くところが面白いなと思いました。2人とも、生きねば、という話なのに。

Tags: books

*1 結核の治療薬ストレプトマイシンは戦後に開発された