kayakaya日記
Feb 05, 2010 (Fri)
# 光の教会—安藤忠雄の現場
「光の教会」として知られる日本基督教団茨木春日丘教会建築のドキュメンタリー本。この教会が安藤忠雄の手によるもので、その筋の人には有名であるとの知識はあったが、そもそも教会側がお金がないから安藤忠雄に依頼したというのは驚きで、この本を読んで初めて知った。
本書は安藤忠雄の話だとばかり思っていたが、実はそうではなくて施主(教会員、牧師)、施工(建築会社)、設計(安藤忠雄の建築事務所、安藤忠雄)の三者で進む。特に実際に建物を造る建築会社に多くのページが割かれていた。会堂建築に少しだが関ったこともあるので、やや教会の動きに感情移入して読んだ。というか教会の裏事情をすぐに察っして読めてしまった。
教会堂の建築にあたって安藤忠雄は空調を重視していない。冬は寒いし夏は暑いというのは現在の教会では考えにくい。高齢者の信徒が多いので空調は最優先で考えるだろう。それに対して、安藤忠雄は寒ければそれでいいと言うのだから、面白いというか彼の建物に対する考えかたが伝わってくる。不便さがないとダメなんだという所だろうか。そこでしばらく生活したり礼拝をしてゆくうちに、使い物になるのが建物なのだろう。安藤忠雄はそういった考えを施主に主張するのだが、施主からある程度信頼されてないとできないことだ。建築を進めてゆくうちに、教会の安藤忠雄への不満なども出てくるのだが、何だかんだ云って、教会側は会堂のデザインに関して安藤忠雄に全面的に委ねている。それをまとめられる教会の建築委員会の働きは素晴しいと思った。
「建築の機能の点ではいろいろと注文はできるけれど、デザイン面などで文句をつけるのではれば安藤忠雄さんに設計を依頼する意味がなくなってしまう。」
教会内の会議で、井関完二・建築委員長が発した言葉。安藤忠雄という建築家に頼む意味について的確に表わしている言葉でしょう。けして口数が多くなく見守るタイプの人らしいが、こういった発言に重みを感じる。本のどこにも出てきていないけれど、神は井関委員長という適任の人をその場に遣わしたのではなかろうかと思った。教会は神の家であって、どこかに神の働きがあるのではなかろうかと。
ところで、安藤忠雄はこう言っている。
「依頼する人と、つくる人と、使う人は違うわけですね。しかしプリミティブには、つくる人、使う人、と、一緒というのがいいなぁと」
僕の中の安藤忠雄のイメージは、コンクリート打ちっ放しで無機質で(そうなんだが)、そして自分の主張をばーんと貫くだけの人だった。本書を読むと実はそうでもなかった。引用した言葉を実現しようとあがいている人に思えた。その方法論やデザインに好き嫌いはあるだろう。それを差し引いても教会堂の建築という過程を通して為人を掴めたのではないかと思う。そして建築家の仕事というものを垣間見た一冊だった。
年間聖句(2010年)
あながたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
新共同訳聖書ガラテヤの信徒への手紙3章26節
You are all sons of God through faith in Christ Jesus. for all or you who were baptized into Christ have clothed youselves with Christ.
Galatians 3:26-27 (New International Version)
