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kayakaya日記


May 26, 2009 (Tue)

# 僕が眼鏡をかけていて、コンタクトではない理由

視力が悪いから矯正しないと生活できないのは大前提なので、ではコンタクトにしないのか、と尋ねられればドライアイだから。

ドライアイの指標となるシルマーテストで0mm。期間をおいて2度検査したけれどいずれも同じ結果。たいていのドライアイでも数mmは濡れるらしい。他の検査でもドライアイ認定(?)だったみたい。最初の時は、僕のドライアイぷりに医者からシェーングレーン症候群かもしれないから内科で血液検査してもらいなさいと言われる始末。検査したら大丈夫だったけれど、さすがにあれはドキドキした。

でも、ものすごくドライアイで日常でとても困ることもなく、目薬で対応できるのが幸い。目薬は処方箋医薬品のヒアレインが好きだけれど、ここ数年はロートのドライエイドで済ましている。目薬は持ち歩かないとダメかな。銭湯などで目薬を忘れると目が痛くて悲惨。もちろん点しすぎはいけないので控えている。

結局、複数の眼科医でコンタクトはやめたほうが無難だねと言わているので、コンタクトはあきらめている。あらら。眼球に異物を入れるのは抵抗感があったけれど、無理だと分かると残念だったかも。

眼鏡で不便だとすれば当たり前だけれど運動している時で、邪魔なくらいはまだ良い。落ちるとかなり困る。いつぞやフリークライミングの最中に眼鏡が落ちてかなり焦った。ジムのインドアクライミングなので対処できたけれど、あれがアウトドアの難易度の高い壁だと思うとぞっとする。そのため眼鏡ストラップは欠かせないこともある。クライミング中に眼鏡が落ちてストラップで止ったことがあるけれど、その後自分を保持しつつ眼鏡をかけるのは手間だったなぁ。難易度高いと自分が落下すると思う。短い時間ならコンタクトも可能みたいなので、こういう時は検討しても良いかもしれないとは思っている。

あとは美容室で髪を切られているときに鏡の自分が見えないとか、温泉で足元が見えないとか、プールや海で女性の水着姿を楽しめないとか……(最後の要因はもう悲しくてもう)。

# 僕は眼鏡が持つレンズとフレームの一体感が好き。

眼鏡が眼鏡たる所以は光学にあると思う。近視遠視乱視を矯正したり、サングラスなど眼を保護して見やすくするためのもの。

度がついていない眼鏡をファッションとしてかけるのは好きではないかな。夏なのにコートを着ているような違和感をを感じる。まして、レンズが入ってないフレームだけをかけているなんて。あれは眼鏡じゃないね。レンズとフレームの一体感がないと眼鏡情緒がないもの。格好悪いよ。あんなもの、やめときなさい。

レンズに光が反射したりするところ、ブリッジに指をそえる様とかに、眼鏡をかける奥床しさがある。単純にフレームをかけていれば萌えると思っていたら大間違い。いかにも的なのはダメです。自然に眼鏡をかけているのが良いのよね。眼鏡萌えで商売している人たちは、この辺りを研究して精進してもらいたいところ。

屈折した眼鏡に対する思いのたけを書いてしまった。あきれるなり、馬鹿にするなり、賛同するなりしてくださいね。


年間聖句(2010年)

あながたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。

新共同訳聖書ガラテヤの信徒への手紙3章26節

You are all sons of God through faith in Christ Jesus. for all or you who were baptized into Christ have clothed youselves with Christ.

Galatians 3:26-27 (New International Version)