kayakaya日記
Apr 02, 2009 (Thu)
# 2009年年度聖句
年度聖句を放置するのもいかがなものかと思いつつ、気になっていた聖句を今年の年度聖句に決めた。
現在の僕を巡る状況は厳しい。社会の中でどうやって生存するかはテーマどころでなく、文字通りの生存問題だ。少なくとも社会制度からずり落ちている存在ではある。
主イエスを救い主とし、キリスト者として生きてゆくつもりだが、そう簡単に生きられるはずもなく、あがいてあげいてもがいて生きている。神は自分を救ってくださるのだろうか、という素朴な疑問はもうない。おそらく僕を救ってくれないだろうな、という絶望的な確信だけがある。それでもなお、僕は主イエスを救い主として生きている者であり続ける。拠り所はやはり主イエスなのだ。なーんの解決にもなっていないように見えるが、どこかに心の拠り所があるのは大事だと思う。僕は弱い人間だから、羅針盤を必要とする。それが主イエスでもいいじゃない。その羅針盤を持って僕は歩いてゆく。2009年を、それからもずっと。誰かに嘲られようと、ずっと歩いてゆく。
わたしを見るひとは皆、わたしを嘲笑い唇を突き出し、頭を振る。「主に頼んで救ってもらうがよい。 主が愛しておられるなら 助けてくださるだろう。」
詩編22編8〜9節(新共同訳聖書)
All who see me mock me: they hurl insults, shaking their heads: He trusts in the LOARD; let the LOAD rescue him. Let him deliver him, since de delights in him.
Psalm 22:7-8(New International Version)
# RFC5514ジョークRFCから考えるIPv6時代のサービス名
4月1日に発行されたRFC5514で、ソーシャル・ネットワークで実現するIPv6を述べている。IPv6 over Social Network (IPoSN)というらしい。IPoSNにおいては、ユーザはユーニクなアドレスを持つ。で、このアドレスが何というか……。ユーザ620147832を例にあげると、10進数のIDを16進数に変換すると0x24f6b478、プレフィックスが2001:db8:face:b00c::/64なので、こんなアドレスになる。
2001:db8:face:b00c::24f6:b478/128
このプレフィックスはfacebookを狙ったと思うのだが僕には確信はないが、facebookを連想してしまう。ただ、この技はmixiや greeでは使えない。IPv6時代のサービス名を考えるときは今後IPv6での表記も考えて16進数で表現できるaからfまでのアルファベットと数字で構成するべきと思った4月2日(塩分濃度くらいは本気なのでジョークでない、念のため)。
遅まきながら、本日Mac OS X(Leopard)でシステム環境設定から6to4の設定ができると知ったのだが、6→4という名前なの。なぜ6to4でないのか不思議。ネットワーク屋さんでは6→4の方がメジャーなのかしらん。
Apr 12, 2009 (Sun)
# 静音化する車やカメラのシャッター音でふと思ったこと
本日付けの毎日新聞に光になる:ブライユ生誕200年/下 ハイブリッド車の走行音という記事があった。
視覚障害者は、危険が迫っていることを音などで判断する。ガソリンエンジンとモーターを併用し燃費がよいハイブリッド車。人気は高まっているが、時速15キロほどの低速時にモーターの力で走る方式だと、走行音はほとんど聞こえない。環境に優しい一方、視覚障害者にとっては新たな不安材料だ。
ハイブリッド車には疑似エンジン音がほしいなにも書いたけれど、僕はハイブリッド車や電気自動車(EV)の小さな走行音の危険性に少しばかり興味を持っている。記事よると、国連の分科会でも静音性の問題が話題になったらしい(分科会の議事録や要旨の類は探しきれてないですが)。ちなみに、毎日.jpのこの記事のカテゴリーは福祉・介護だけれど、普通に交通安全の問題でもありえる。健常者の僕でも、静かな田舎道を歩いても、ハイブリッド車は静かすぎて後方からの接近に気付けないことがあるから怖い。本田のインサイトは低速時でもエンジン音がするから、こちらは多少はましだろうが、これから電気自動車も普及することも考えると、やはり静かな車をどうするか、という厄介な問題は避けられないはず。
この問題の記事を読んだときに、何となくデジタルカメラのシャッター音を思い出してしまった。コンパクトデジタルカメラのシャッター音はたいてい昔のメカニカルカメラのそれに似せていると思う。携帯電話のカメラも同じだろうし、iPhoneのカメラもそう。技術的にシャッター音は消せるけれど、そうならない。あるいは、音だけ出すなら、着メロ感覚でもできる。君だけ専用のシャッター音とかあると撮られる人も面白そうなのだが、そのような製品は僕は知らない(あったりして……)。結局、隠し撮りを防ぐなどの目的があったりと、撮られていることが誰にでも分る仕組みに落ち着いたと理解している。それは旧来のメカニカルカメラのシャッター音だったのかな。iPhoneや携帯電話のカメラは、かつて静音にしようとしたメカニカルなシャッター音を、わざわざ電子的に再現している。カメラはハイテクなんだけど、シャッター音はローテク風なんですね。なんともけったいな、けれどもとても面白い話だといつも思う(カメラ史を読んだわけでないので、憶測とか聞いた話レベル)。
今のところ、ハイブリッド車の静音問題をどう解決するかはまだ見えない。ローテク的な解決を取るのだろうか、他の電子機器デバイスと連動した仕組みになるのだろうか。僕はローテクに疑似エンジン音を外部スピーカーで鳴らす方法が無難じゃないのと勝手に思ってます。電子機器の連携に失敗して気付けないのは怖いし。その装置を歩行者が忘れると使えないのはイヤだしね。前も書いたけど五感で分るのが良いと思う。
ありきたりだけれど、技術は進歩しても人の感覚はそうは変わらない。だから、ある時代の技術の制約が、その後の人の行動や感覚を長い間規定したりする。もうその技術制約がなくなったとしても、そうだったりする。僕はこの辺りについつい関心が向いてしまう。今のところ役に立ってないけどね〜。
Apr 13, 2009 (Mon)
# 二度目の薬局患者取り違え事件?
医療過誤事件がよく起きるようになったと言うけれど、実際に自分が遭遇したことはどれくらいなんだろうね。僕は、医療現場ではないが、いずれも薬局で患者取り違い事件に遭遇している。
まず、今日の出来事なので2件目から。いつもの薬局で薬の順番待ちをしながら本を読んでいた。名前が呼ばれたような気もしたが、僕と似た名前として聞こえたかもしれないなと思い、ちょっと様子を見てみた。すると、案の定80代ほどの老人がカウンターに薬を受け取りにいった。あぁ僕じゃなかったのね、とまた読書に戻ったのだ。しばらくすると、カウンターの様子がおかしい。どうやら、老人に僕の薬を渡す寸前だったみたい。別の薬剤師が老人の薬を渡すつもりで、老人の名前を呼んだところ、カウンターに座って僕の薬の説明を受けている老人が、はい、と答えていた。おいおい……。その苗字を聞いたが、ぜんぜん僕の苗字とは似ておらず、普通なら聞き間違えない名前だった。それで、その場にいた全員が間違いに気付いたのだった。
その老人の薬の調剤が遅かったりすると、老人は僕の薬をもって帰宅してしまったことになる。もちろん、僕も薬局でもらうべき薬がないことにすぐ気付くし、薬局関係者もミスに気付ける。近くだったら追いかけて発見できるかもだが、田舎では車の送り迎えががほとんどだから、1時間程度は連絡が取れないかもしれない。何かで僕の薬を飲んでしまったらマズイこともある。
でも起きてしまったことは戻せないので、さて、どうしましょう。で、また本当の僕の薬を受け取るために説明を受けたのだけど、謝罪めいたことを一言も言われなかった。ここはまず最初に名前を確認するべきところですよね?と言ったのだが、薬剤師の方に、薬を渡す寸前で気づけたので大丈夫です、と返答されてしまった。何だかなぁ。目の前にいる本人と薬袋の名前があっているか、薬剤師はもちろんのこと患者にも確認してもらうのは、基本のプロセスだと思うのだけどね。この薬局の名誉のために付け加えておくと、この基本のプロセスを踏んでいる薬剤師の方が多いです。
1回目の初めて遭遇した患者取り違い事件は2002年のこと。病院の入力のミスが原因だった。病院が印刷した処方箋の患者情報(氏名とか健保などの情報)が僕と別人だったの。処方内容は僕の薬だったので処方箋をぱっと見ても間違いに気付けなかった。そのまま薬局に行った。初めての薬局だったので保険証を提示したのが幸いになり、そこで処方箋の患者情報の違いが発覚。原因は、僕の前に受診した人のデータがそのまま残っていたので、その人の情報で僕の処方箋を入力したらしい(少し質問して聞いた)。2人とも初診だったため履歴がなく、病院側としては分りにくいケースではある。
別人の肺を切除しました、というようなレベルではないが、この程度の些細な医療ミス?は起こりえる。今のところ些細なのだが、些細そうなものが複数の要素が重なってしまって重大な問題になるかもしれない。
個人的な教訓としては、変だなと思ったら、すぐに医者なり看護師なり医療従事者に言うべきだろう、というくらいかな。でも、これが案外難しいのよねぇ。いやはや。
とにかく、3回目は嫌だけど、単純な頻度では2016年くらいに3回目が起きるかもしれない。病院にも薬局にも行かずにすむなら解決されるので、そちらを目指します、というところで締めたいと思います。
Apr 15, 2009 (Wed)
# 死とは無縁であるはずのニュータウン、そして「おくりびと」
「おくりびと」を見ようと映画館に並ぶ人たちを見て、思いついたこと。先月くらいの出来事ですね(日記崩壊してます)。
僕はいちおうキリスト教徒だ。教会での葬儀に出席したこともある。教会にとって葬儀とは、特別なものかもしれないけれど、実は特別でもなくて、あくまで礼拝だったりする。日曜毎に集まる礼拝と同じ。おまけに結婚式も同じ礼拝。これは重要なことだと思う。死を日常と切り離されたものとして捉えていないから。少なくとも僕はそう考えている。
ところで、キリスト教徒にとって洗礼とは新たな命を得ることだが、洗礼は礼拝の中で行なわれるのが普通だ。礼拝で洗礼を受け、礼拝で天国へと送り出されることになる。生と死が礼拝で繋がっている。幼児洗礼をしている教会では文字通りそうだろう。礼拝の中で、誰かが生まれて、誰かが死んで行く。そういう営みが教会にはある。生れるだけでもないし、死ぬだけでもない両方が存在する。
かなり話がそれるが、日本のニュータウンのことについて。とある人から聞いたことだが、ニュータウン建設ではお寺のことは考えられていなかったそうだ。誘致しようとか新たに作るということがないらしい。そう言われてみれば、ニュータウンのチラシには、学校や商業施設まで徒歩何分とは書いてあるけれど、最寄りのお寺まで何分と宣伝しているものは見たことがない。お寺のことに触れていたとしても、すでに古くからある寺院仏閣で、公園としての役割か観光地ぽい役割が多い感じがしなくもない。ニュータウンでは学校は重要だと思われたけれど、お寺はそうでもなかったように感じる。別の言葉言えば、育てる場所だけを作り、弔う場所を作ろうとしなかった。もちろんお寺は弔う場所だけではないことは知っているつもりだ。そういえば計画段階で墓地付設ニュータウンという例も聞かない。故郷の実家の墓に入りなさい、と言わんばかりだ。とにかく、ニュータウンは生まれて育てる場所であって、死ぬ場所としては作られてないように思えたのだった。東京には青山霊園や多摩霊園がある。初期の頃の都市計画では、墓地は考慮されていたのかなと思ったりもする(ここはかなり憶測)。高度経済成長の頃に大きく日本人の生活が変わったように、高度経済成長期のニュータウンはその生き方を象徴していたのだろう。
家から車で40分ほど走ったニュータウンにシネマコンプレックスがある。そこで「おくりびと」が上映されていて連日満員だった。不思議な光景なのか、当然の光景なのかは分からない、このニュータウンにも墓はないことを考えると少し妙だった。ニュータウンは生活する場所だから生と死の両方があるべきだろう。意識しなくても生と死の両方に触れられる場所であってほしいと願う。たぶん、その方が日常性が保たれると思うような気がする。人として自然のような感じかな。
たぶん、こんなことは今の都市計画の現場の人は考えているテーマなのだろう。それにしても、宗教性を無視して死を語ることはできるのだろうか、とも思うのだが、実際はどうなのだろう。死を見つめらえる何らかの象徴があれば良いのだろうけど、では、いったい、なんだろうか。やはり僕は個人の内面について触れる宗教は必要だと思う。宗教家、都市計画者や行政、デベロッパーにしろ、向き合ってこれからの街を造ってほしいものだ。
あなたは、どんな街に住みたいですか。
Apr 16, 2009 (Thu)
# 動かないkayakaya日記、なぜ日記データ削除は起ったのか。
お知らせ
kayakaya日記の全データを僕のミスで消してしまうというヘマをやらかしました。日記本文はすべて復元しましたが、4月分のツッコミは復元できていません。4月以降にツッコミしてくれた方および読者の方に申し分けなく思ってます。ここにお詫びします。
なぜ削除してしまったのか
tDiaryのキャッシュを削除しようとしたのだが、日記データ保存先(@data_path)において、
$ rm -rf cache/*
のつもりで、
$ rm -rf * cache/
と実行してしまったのです……。日記データは綺麗さっぱり削除してしまったことに。うぎゃー><。
どうやって日記本文を復元したのか、そしてツッコミは?
先月のバックアップはすべてあるので、先月の日記はそちからさくっと復元した。だがしかし、日次バックアップしておらず(あまりにも愚かですね)、4月以降のデータがきちんとない。仕方なくアホみたいだが日記本文はRSSから復元した。基本的にテキストエリアで日記を書かないので、本文はローカルにもあるけど、RSSの方が公開されているものと確実に同じなのでRSSから取得した。
残るのは問題はツッコミ。こちらもRSSに文章はあるし、ツッコミは自分にメールで送信させているのでデータは復元できる。だが、手動でツッコミをすると、RSSに流れるかもしれないと思って躊躇してしまった。いったんツッコミは非表示にして、日付のデータをいじって、承認するかとも考えたが、アホみたいだ。ツッコミが保存されているフォーマットで、つまり200904.tdcというファイルを作成しようかと思ったが、挙動が読むのに時間がかかりそう。少なくとも別環境で実験する必要はある。あとは技術的ではないが、日記への追記の形で、ツッコミを載せるのも手かと(現実解ぽい)。
これからどうするのか、課題
- rmの挙動はbashのエイリアスで確認を求めたりしているが限界もある。trash-cli系のツールを検討してみる。
- 現状はシェルでの削除はファンクションで~/.Trashにmvするようにしているが、さくっとrm -rfすることもある……つまり今回。
- 君は工事の人か、と言われそうだが、rmするとき指先でコマンドを確認している、でも、ヘマしているの。
- 仮にrmをファンクションで置き換えていたとしても、'command rm -rf *'としてしまいそうだが、それはもう仕方ないような。
- とにかく、安全にファイル削除できる仕組みは必要。ファイルサイズの関係で無理なときもあるが、それはそれで置いておく。
- キャッシュの削除を簡単にする
- ファンクションで実現できるので、まずはそうする。
- clear.rbというプラグインがあるので、そちらを改造するのもあり(まだ中身はよく見てない)。
- 頻繁にキャッシュを削除することはないが、テスト用途を考えると間違いが起きにくい仕組みは必要。
- 日次バックアップはするべきだろう。
- 日記データのオペレーションミスを想定していなかったのは事実。
- 月次と他のタイミングで日記データをサーバからローカルマシンに取得していたが、それとは別の方法を考える。
- ミラーリングではなく、少々の世代管理しても困らないくらいディスクは空いている。たかだかテキストだもん。
おわりに
皆さま、このような愚行はくれぐれも犯さぬよう。tDiaryのたださんは25年の寿命を目指すと宣言しています。けれども、運営者が自分でデータを消したら日記の継続は無意味だからね。
# 平野撫子さんとお会いした
ずーっと気になっていた平野撫子さんとお会いしてきた。大阪の造幣局の通り抜けで会ったのだが、平日の昼間でもけっこうな人混みだった。でも、楽しみにしていた甲斐があったかな。次は京都の神社ででも。平野撫子さんは僕好みですが眼鏡女子ではないです。念のため。
Apr 17, 2009 (Fri)
# 『図説イングランド海軍の歴史』
イングランド海軍の歴史とあるが、だいたいスチュアート朝からトラファルガーの海戦までの通史で、帆走艦の時代だけを扱っている。いわばパックス・ブリタニカに至る長い道のりの歴史。没落は書かれてない。図説とタイトルにあるけれど、所々に肖像画と海戦図があるくらいで、図解でないです。念のため。そこそこ厚い本だけど、専門書でもないし、素人でも読める(高校の世界史は頭に入ってないと面白くないと思うが)。注釈も参考文献もしっかりしているし、興味を持てば先に進める。なお、著者は海将補まで務めた海自の自衛官。そのような専門職的な知識に裏付けられているだと思う。かなりオススメ。
いろいろな角度から読める本だが、僕はつくづく戦闘はコミュニケーション手段に制約されるのだな、と感じた。そんなの当たり前だよと言われそうだが、当たり前のことを当たり前に再確認できるのは重要だよね。
あの時代はとうぜん無線はない。戦闘中の通信手段は信号旗に頼ることことが多い。もちろん全部信号旗ではないが、ドンパチやっている状態になったら伝令船も使えないし、信号旗しかないという感じだ(砲の硝煙で信号旗が見えなくなるということも……)。信号旗しかなくて大丈夫なの?と思うかもしれないが、帆走だから、今とは感覚が違う。敵艦見ユ、という状態になってから、艦長同士が旗艦にボートで集って、さぁ、どうしましょうかね、と作戦を考える余裕があった時代だった。帆走速度や搭載砲の射程を考えれば分るのだが。この辺は海戦モノの映画でもあまり再現されてない感覚なので実感が湧かないなぁ*1。
もちろん、ぜんぶ敵を見てから現場で決めていると支障が出るし、だいたい戦闘のパターンは決ってくることもあり、艦隊戦術準則という海戦ガイドライン(みたいなもの)が定められている。勝利した海戦の経験に基づいて有能な提督が定めてきたものなのだが、この艦隊戦術準則が金科玉条みたいになってしまい、いざ実戦になると支障が出てしまう事例がいくつもあり興味深い。艦隊戦術準則は当時の中心的な単縦列陣形を原則にしている。単縦列陣形は、先頭艦に後続が従えば良いので、コミュニケーションが制約されているし、動きが制約されている帆走艦でも運用しやすいオーソドックスな戦術だったらしい。単縦列陣形で戦闘が行われても、いつかはその戦列は崩れる。例えば敵艦が攻撃で損傷したら戦列から離脱して逃げる。この遁走する敵を攻撃するために戦列を解いて追撃できるか、というのが問題になった。艦隊戦術準則は追撃戦も混戦も禁止していないが、戦列を離脱する妥当性というやつが難しくて、下手すると準則違反になってしまう。そのため、なかなか戦列を離脱して追撃するという判断を下せない雰囲気ができてしまったらしい……。
英仏が戦ったツーロンの海戦(1745年)では、この戦列を巡り軍法会議が開かれる始末。「戦列を形成しつつ交戦せよ」と信号旗を掲げた艦隊司令官に、後衛の司令官が従わなかったらしい。「交戦に参加しようにも、まだ戦列に入っていなかった。仮に戦列に入っていても、これを離脱しなければ戦闘できなかった」と自己弁護した後衛司令官の主張が認められて艦隊司令官がクビ。どっちもどっちだろうが、戦闘より法廷で勝ったもんが勝利者みたいだ。
ここまでヒドくないけれど、戦列を巡った軍法会議がけっこう開かれて、かなりの指揮官がクビになった。中には銃殺された司令官も……。さすがに、こんな状況に憤った艦隊司令官もいたようだ。海軍の規模が拡大すると、サポートする組織も肥大化して、良くも悪くも官僚主義に陥いってしまう。踊るナントカ線じゃないけど、海戦は会議室で起きてるんじゃない、現場で起きてるんだ、みたいなものかなぁ。
戦列主義の話の締めはネルソン提督。彼のあまり戦列だけで戦わなかったみたい。どちらかと云えば、乱戦に持ち込んだり敵の戦列を突破する、さらには挟み撃ちするパターンが得意だったようだ。戦列突破や挟撃はタイミングが難しい。リスクが高い戦術だ。ネルソンは敵の予想されるパターンに応じて、あらかじめ作戦を練って配下の司令官や艦長に周知した。危うげな戦術を周到に準備して、それを臨機応変にやっている。用意周到かつ大胆不敵なのだ。ネルソンとはそういう人物だったのか、と少し感心した。用意周到な準備と打ち合わせこそトラファルガーの勝利だったのだろうな*2。ちなみに、ネルソンはトラファルガーにおいて、2列の縦列で敵の単縦を突破した。ネルソンズ・タッチという手法と呼ばれているそうなので画期的だったのだろう。ネルソンは偉大だったために、戦列主義の呪縛からネルソンの呪縛にはまる。あれを克服すると、こちらの呪縛に……。いや厄介ですな。
本書はこのような話ばかりではないのだが、戦列主義の話が一番印象に残った。個々の海戦の詳細を読む機会はあるけれど、200年とかのスパンでこのような視点を持てる本には今まで会えなかったな。
そうそう、トラファルガーの海戦といえば、ネルソンが掲げた"England confides that every man will do his duty"という信号が有名だが、本書でもこの信号旗の逸話に触れている。さて、この信号旗はどのようなモノだったのか。ありがたいことにWikipediaに信号旗の画像がある。いったい何枚の旗が使われたか数えると良いかも。当時の人はぱっと信号旗を見て意味を掴んだのだろうが、掲げるのに時間がかかる。この組み合わせの信号旗を繋留するのに何分くらい必要なのか知りたいのだけど、動画とかあったりして。ともかく、兵器のスペックだけが戦争じゃないので、戦争オタクはこういう本も読んだ方が良いだろうね。
Apr 21, 2009 (Tue)
# 『鹿男あをによし』
『鹿男あをによし』を知ったのはテレビドラマで(昨年だっけ)、それも3話くらいから見たので、最初の方は知らないが、とにかく久しぶりにハマッたドラマだった。それで小説も気になっていたけど、なぜか手を出さず最近になって小説を読んだ。もっと早く読むのだったと後悔したが、まぁ読書なんてそんなもの。
それにしても、この小説はどこまで本当か分からなくなる。現実で起っているような錯覚に、いや、錯覚ではなく本当の感覚に陥ってしまう。とても良くできたファンタジー小説みたいなものかもしれない。正統派のファンタジーなら超常の存在は妖精とかドラゴンとか魔法だろうけど、そのようなモノは見たことがない。でも、本を読んだ後は、そこら辺の人間が実は魔法使いじゃないの?とか疑ってしまうことはよくある(かもしれない)。そんな見たことのないモノが本物らしくなるというのに、『鹿男』の超常存在は春日大社の鹿や伏見稲荷の狐に難波の鼠だ、いずれも見たことがあるモノばかり。鹿なんぞ奈良市内に行けばよく見かけるし、お稲荷さんは全国どこにでもある神社だし、鼠などは下宿時代にパンを喰いちからした不届きな輩だ。こんな身近な存在を超常に仕立てるのだから作者の技量は相当だろう。鹿が神の使いだとか狐の神秘性などは古来からの日本人のイメージが作り上げたものと云えばそれまでだけど、これを新手の物語として書くのだからもう感服した。おまけに登場する人物が魅力的、でもちょっとステレオタイプ、こういう人いるよね、みたいな感じで親しみが持てる。ばっちり感情移入できた。いや、とにかく堪能した小説だったな。
ドラマを見てから、小説を読んだので違いが気になるところだが、実際のところは違いは気にならなかった。どっちもどっちで好き。原作を読んでからドラマだったら別かもしれないけどね。ドラマで演じている俳優と原作のイメージが云々という話もよくあるけど僕は分離できて読めたかな、というのは半分嘘。本当は堀田は多部未華子だし福原先生は佐々木蔵之介が脳内から離れなかった。
それにしても、この本は和風ファンタジー小説などではなく、とある教師の本当の手記なのかもしれない、と思っていたり。いや、そうに違いない。みんなファンタジーだとダマされてるんです。
Apr 25, 2009 (Sat)
# 第33回 Ruby/Rails勉強会@関西に行ってきたよ
第33回 Ruby/Rails勉強会@関西に行ってきた。Ruby関西の勉強会は初めて。勉強会は帰ってから日記(ブログ)に書くまでが勉強会です、という言葉があるので忘れずに書いておこう。
今更はじめるCucumber by 西村友裕(Sixeight)さん
僕はRailsをやっていないという人なので、Cucumberって何?だった。テストのためのツールで、かなり役立ちそうなツールという印象を受ける。テストコードというより、ユーザ受け入れテストとかの段階で使うような感じかな。webratと組み合わせると強力なのでどこかで試してみたい。
妄想ちっくだが、テンプレートやシナリオによって振舞いを変えるようなドキュメント生成に使えるのかなーと思ってしまったが実際のところどうなのだろう(はて)。帰りの電車で、cucumberってどこかで耳にしたような覚えがあったな、と帰宅して調べてみたら、やっぱり。角谷さんがtDiaryをテスト対応にする目的でcucumberを取り上げていた。やはり真面目に勉強したほうが良さそう。生の勉強会だと印象に残ります。行って良かった〜。
Rubyではじめるハードウェア制御のアレコレ by keisuke_n (西本 圭佑)さん
RubyでLEDを点灯させようぜ、という電子工作が好きな人たちのハートを奪うような発表だった。もちろんRubyだけでハードウェアを制御しているのではなく、Cのラッパーを通して、Rubyスクリプトで制御しているみたい。電子機器の実物とCそれにRubyのソースが全部一緒に見られたのは面白い。この辺りは勉強会ならではでしょう。それからモノの調達からコーディングにかかった時間などの話もあり興味深かった。どうしてもGCが走ってしまうのでリアルタイム性に欠けるので、その特性を見極める必要があるとのこと(そりゃそうだろうなぁ、昔JavaのWebサーバでもGCで泣いたし)。
個人的に使いたい!と思ったのはプラネタリウムの制御。大学時代の部活でプラネタリウムを自作したのだが(ハードウェアには僕はタッチしていないですが)、制御にこのような形でRubyを使えたら便利だっただろうな、と一人回想してしまった。プラネタリウムの機械的電子的工作なところはともかく、プラネタリウムはシナリオと連動してナンボな世界なので、おそらくRubyのような言語は馴染みやすいと思ったり(僕はソフトウェアよーするにシナリオの人だった)。
そういえば「ネギをふらせたい」という要望があって、くすくすしてしまったのだが、この辺はどこぞの技術部ちっくでありますね。
Mopirunってなんだ by ヒロさん
実際に会ったことのない人しか関係を持てないSNSを作ってみたそうだ。QRコードを交換することでしか関係できないらしく、そのことで何時会ったかなども後から分かる思い出せる、などが特徴だとか。
いまさらなぜSNSなのか、という直球の質問があったのだが、確かにそうだろうなぁと思う。今のmixiでは会っている人でもハンドルが違って分らないとかの問題(というより特徴ですね)があるので、会った行為に着目しているのは良いかもしれない。もちろん、このサービスでも同じ人が複数のアカウントを使い分る問題は避けられないと思うのでどうするのだろうか。同じ人が複数のQRコードを持ってしまう場合。ともあれ、SNSとかソーシャルWeb論になるのでこの辺で。
Ruby 初級者向けレッスン第 27 回 by okkez さん
OptionParserなるライブラリを知らなかったので、そいつにハマった。四則演算をするコマンドラインアプリケーションを作りなさい、というのが初級者用の演習だったのだが、OptionParserは演算子そのものはオプションとして理解してくれるの?とか。いまいちOptionParserを使う意味が分からなくて戸惑ってしまう。これは自分への課題にしておこう><。evalは禁止ぽいので使いませんでしたが(1*2はOKだけど、1 * 2を渡すとsyntax errorになるよね、などがあるのでやっぱり厄介かも。よーするに一度は使ったと……)。
勉強会そのものの感想
全員がインターネット接続環境にあるという、とてもありがたい会場だからできるのだろうけど、lingrの位置付けが良く分からなかった。有用な情報のポインターが示されている一方で、雑談めいているところもあり。勉強会や講演をtwitterで中継するのは当たり前の光景になったけど、あれは自分と無関係でいられるが、こちらは会場を巻き込む感じなので放置するのもどうかなという感じ(そもそもそのためのツールだと認識したので違っていたらごめんなさい)。前回の関西Rubyの勉強会をustとlingrで見たことがあるけれど、実際の会場ではまた違った感覚だった。この辺りは参加してみないと分からないと実感した次第。
ともあれ、とても刺激になった。プログラミングを生業としなくなって4年以上経ってしまい、人のコーディングを生で見るのは本当に久しぶり。Ruby関西の皆さま、ありがとうございました。
それにしても懇親会に出なかったのだが残念で仕方がない。懇親会に出席したら終バスに間に合わないのが理由だったのだが、飲めなくても最寄り駅まで車で進出するべきだったかな。
京都の余談
京都女子大の交通アクセスには「市バス206、208または100で約10分、「東山七条」で下車し東へ徒歩5分」と書いてあったのだが、地名らしいものって東山しかないのですが……。206、208、100とか七条ってアラビア数字と漢数字だけだよう><。住んでいて慣れたらとても便利だとは知っていても遭遇したくないかも。うむむ。
Apr 26, 2009 (Sun)
# 水道水ペットボトル「ほんまや」を飲んでみたよ
近頃ちょっと気になっているのがペットボトル水道水。一般家庭の水道水をペットボトルに入れたのではない。自治体などの水道局が自ら水道水をボドリングして売っているものだ。蛇口をひねれば出てくるものに金を払うなんて馬鹿馬鹿しいと思われるだろうが、塩素を入れる必要がないので(わざわざ水道水から抜くケースもあるらしいが……)、その点では普通の水道水より美味しいかもしれない。
大阪市水道局が販売しているのが「ほんまや」。先日購入したので飲んでみた。普通の水だ、普通に美味しい*1。
500mlのペットボトルで100円というお値段、コンビニや売店のミネラルウォーターより安いしお得ですね。ただし問題があって、大阪市で普通の生活をしていてもおそらく目につく場所に売っていないこと。あらかじめ、「ほんまや」のサイトで販売店を調べておくべき。それでも見つけにくい。僕は梅田北売店で購入したのだが、場所が北区角田町8番6号と書かれても地下街だから住所では辿り着けない。結局、市のインフォメーションセンターやら売店を5、6箇所回ってしまった。やれやれ。
他の自治体でも事情は似たようなもので、とある自治体では市の観光案内所でようやく見つけたことがある。水道水ペットボトルを入手するのなら、事前にインターネットなり自治体に電話するなどの調査はしておいたほうが賢明だろう。
この手の水道水ペットボトルなのだが、地元の住人にはまったく購入動機を理解されないし、呆れられるし、馬鹿にされたりもする。そりゃそーだろう、と思わなくもない。蛇口から出てくるもんね。
ちなみに、僕の家は田舎なこともあり水道が来てない。なので水は井戸水だ。電動のポンプで汲み上げている。普段は、井戸水を浄水してから空のペットボトルに詰めて持ち歩いている。そんなこともあって、ミネラルウォーターをわざわざ買うことが理解できないとか、それで水道水に憧れを持っているとか、そんな訳ではないです(たぶん)。本当の理由は、いろんなペットボトルの水を飲み比べするのが好きだから、それに上水道の仕組みや歴史に興味があったから、かな。
*1 大阪の水がマズいというのは過去のこと、今や高度浄水処理水だ
Apr 27, 2009 (Mon)
# 2009年春の花粉は終息したのかな
どうやら花粉症の時期は去ったようだ。花粉症に備えよ、ジルテックと後発品(ジェネリック)などで書いたように、今年はジルテック(の後発品だけど)のみで花粉症と対峙してみた。他の抗アレルギー剤や鼻炎薬、点鼻薬などは一切使っていない。ときどきマスクはしたこともあるけれど、ほとんどマスクなしで生活できた。
マスクなしが可能だったのは、自家用車で移動できるため、外気に曝露している時間が短かくてすんだから、という理由は大きいかな。一度だけマスクなしで2時間ほど昼前に散歩したら痛い目にあった。やはり長時間屋外にいるとダメみたいだ。それで散歩するのは21時頃とかに変更したりした。それから、何だかんだ言っても、今住んでいる所の花粉飛散量は多くない。以前住んでいた多摩と比べると天国みたいなところかも*1。
今年の花粉症シーズンは去った。だがしかし、地球が滅びないかぎり、2010年花粉症の春は確実にやってくる。今年から花粉症になってしまった人は2010年年明け早々に医者に行くことをお勧めする。抗アレルギー剤は1月頃から服用したほうが効果がある。今年の症状が酷くて社会生活が困難になってしまった人は、今のうちにアレルギーの専門医に診てもらったほうが良いだろう。いろいろと治療法があるみたい(僕はよく知らないので自分で調べてくださいね)。
さてさて、花粉症のこともあり、僕は新緑シーズンの山には一切登っていない。ハードに体を動かすとどうなったものか分かったものじゃないし避けていたのよ。さて、これからが楽しみだな。どこ登ろうかな〜。とりあえず下草があまり生えない間に低山の道なき道を攻めるとしよう。
*1 北海道とか沖縄って花粉症ないんだよね、昭和基地もか……
Apr 28, 2009 (Tue)
# おめでとう、Opera15歳
Operaが15周年らしいので僕とOperaみたいなこととか。追憶めいたことなので興味ない人はスルーしたほうが良いでしょう。
世の中にはタブブラウザというものがあるらしい、とか最速のブラウザらしい、とか噂でしかなかったOpera。いつ僕がOperaを使い初めてか分からない。手元に記録がないから正確な日付は分からないけれど、6.0の正式版がリリースされてからだろうと思う。たぶん2001年の終りか2002年の初め頃だろう。さすがに最速といっても日本語のページがうまく表示できないとかは日本語ユーザの僕には冗談でない限り使えかったはず。6.0で飛び付いたのは事実だろう。でも仲間内でメール機能が付いたけどどーよという会話をしたことがあるので、ひょっとしたらOpera 5の頃からかもしれない(記憶なんてあやふやだなぁ……)。
レジストしたのが2002年11月15日。Operaがとても気に入ったらしい広告が邪魔だった。トランスウェアから購入したメールが残っているので確かな日付だ。その頃には何をするにもOpera、Opera、Operaだったと思う。あるサイトがOperaで表示が崩れます、Flashが動かなくなります、に遭遇したらinfo宛にメールしていたこともある。ちまちまとOperaをサイト運営者に認知させる試みだったのかな。だからUser-Agent偽装などもっての他だ(せざるを得ないこともあったけどね)。
けれども理想的なOpera市民だったかと云うとそうでもなく、マウスジェスチャーはとあるSleipnir使いから教えてもらったという……。マウスジェスチャーを初めて使ったときは衝撃で、今もマウスジェスチャー以前(B.M.)、マウスジェスチャー以後(A.M.)という年代区分があるとかないとか。とにかく、マウスジェスチャーを知ってからは、理想的な環境とは、マウスの時はマウスだけで操作できて、キーボードを使っていたらキーボードだけ操作できることになった。
タブブラウザのデザインを考えたときのOperaは重要である意味基準になっている。タブの下にアドレスバーがないと落ち着かない。だからFirefoxやSafariのデザインはいまいち馴染めない。ChromeやSafari 4が好き(Operaのぱくりとか言わないもん、OpereのUIが認められたんだもん!)。
2005年8月31日のレジストコードキャンペーン以降お金を払うこともなくなったが、この頃からOpeara以外のブラウザを使う比率が増えた。Opera以外の選択肢が増えたことが大きな理由の一つだろうね。Operaで実装された機能はたいていFirefoxの拡張で実現されるし逆もしかり。Operaしかできないことが減ってしまった。悲しむべきことではなく喜ばしいことだと思っている。それだけOperaが偉大だったんだ。
でも、これからもOperaが新しいWeb体験をもたらしてくれるかもしれない、という願望は捨てていない。Operaたん成人式を今から楽しみにしている*1。
*1 5年後にもここで日記を書くというプレッシャーを自分にかけてみるというライフハック(笑)
Apr 29, 2009 (Wed)
# 鉄塔部活動
図書館帰りに夕日が綺麗だったので夕焼けと鉄塔を撮ろうかなと思ったら、現地でカメラを忘れたことに気付く……orz。ほぼカメラは持ち歩いてるのにぃ。それでも僕にはiPhoneという強力な単焦点レンズのデジタルカメラがあるので大丈夫なことにした。
Flickrで少しだけ色を修正したけれど、かなりオリジナルに近いと思う。何となく普通のネガフィルムで撮った夕焼けの写真に似ている気がする。こんな雰囲気もけっこう好きだな。
iPhoneは素ではマクロぽい写真はからっきしダメだろうけど、この辺はレンズ付きフィルムと同じだと考えれば楽しい。レンズ付きフィルムは広角単焦点レンズが付いた高感度35mmフルサイズなのでスペックは優れているのだ(笑)。とにかく、とりあえず出来ることを考えて撮ろうよ、とシンプルにさせてくれるところが好きなんです。これで写真の腕が良ければ良いのだけど、それは置いておいておく。
それにしても、今日は鉄塔部というより送電線部だな。ま、いいや。
年間聖句(2010年)
あながたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
新共同訳聖書ガラテヤの信徒への手紙3章26節
You are all sons of God through faith in Christ Jesus. for all or you who were baptized into Christ have clothed youselves with Christ.
Galatians 3:26-27 (New International Version)




_ へいちゃん [コンタクトレンズの普及と共に眼鏡っ子が少なくなったのは遺憾ですね。ファッションとして眼鏡を着用する人も多いようですが..]
_ kayakaya [コンタクト女子がときどき眼鏡かてるのもイイのw。とーぜん逆もあり。『電脳コイル』は各所で評判良さげなので見たいと思っ..]