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kayakaya日記


2007-12-08

# 塩狩峠、愛と死の記録 del.icio.usに追加 はてなブックマークに追加 livedoor クリップに追加 Buzzurl に追加

三浦綾子さんの名作『塩狩峠』のモデルとなった長野政雄氏を追ったドキュメンタリー。

クリスチャンの方ならたいてい読まれていると思うが、そうでない方のためにポイントを書いておこう。時は明治時代、北海道旭川の鉄道員で、熱心なクリスチャンだった長野政雄氏。彼は伝道で列車で旭川に帰るところだった。難所の、塩狩峠に差しかかったとき、自らが乗車する客車が、突然連結器が外れて後ろに走り出す。それを長野氏は身を線路に投げ出して、自分の肉体をもってして暴走を止めた。

長野氏の遺言によって日記などの記録が償却された状況で、著者は、長野氏をたどる旅を始める。遺族や教会関係者を休みごとに尋ねては失われた記録を復元してゆく。ほぼ構想10年、取材5年。そして分かったことは、小説『塩狩峠』にあるように、長野氏は本当に小説に書かれているような立派で謙虚なクリスチャンだということだ。日曜学校の校長をしていて、日曜学校は大勢の生徒があふれている。生活態度の悪い同僚と同居して振る舞いを治すなど、まさに小説『塩狩峠』のままだ。もちろん、小説『塩狩峠』が長野氏をモデルにしているから当然と言えるが、その長野氏の事実を確認できただけでも本書の意義がある。なお、巻末には長野氏の足跡をたどるうえで貴重な資料集がまとめられている。

ところで、ここからはkayakayaの私論だが、気をつけねばならないことは、長野氏の生涯は立派だった、だから、見習わねばならない、と簡単に結論づけてしまうことだ。長野氏の生涯は長野氏の物であり、他の人の誰のものでもない。長野氏のような立派な人を真似しようとしても、下手をすると、ファリサイ派や律法学者のようになるだけだ。彼の生き様から何を学ぶかは大切なことだと思うけれども、長野氏たらんとすることは、自らを失い、主からいただいた自らの賜物を無駄にすることではなかろうか。本書を読む目的は、長野氏を真似するためではなく、自らの信仰を自らで確かにするためにあると思う。

塩狩峠、愛と死の記録 塩狩峠、愛と死の記録
中島 啓幸
フォレスト・ブックス
¥ 1,365

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年間聖句(2008年)

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

ヨハネによる福音書15章5節(新共同訳)

I am the vine; you are the branches. If a man remains in me and I in him, he will bear much fruit; apart from me you can do nothing.

John 15:5(New International Version)

日記に関する注意書き

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