2007-11-15
# 初めに、神が
友人のレビューを読んで購入した本。なかなか収穫のある秀逸な良書だった。プロテスタントの牧師による創世記1〜3章の講解説教集で、説教を下にしているので比較的読みやすい。創世記の説教だけれども、ありがちな天地創造物語の講話ではなくて、3章全体を通して、神の人に対するまったき愛が根底にあると熱心に語っている。よくぞ『創世記』3章でここまで深く読み解けるものだ、と感心してしまった。ちなみに、著者はヘブライ語の研究でPh.Dを取得した人だ。ただ思い込みで深読みしているのではなく、ヘブライ語に対する深い造詣と熱い信仰に裏打ちされた講解説教集だといえる。本書のエッセンスは、友人も同じ箇所を取り上げているが、次の一文に集約されていると思う。
他の神々でも、偶然という名の神でもなく、慈愛に富み、栄光と尊厳に満ちた聖書の神が、英知と知恵を用いて、しかも責任を用いて、しかも責任を持って私たちを存在させ、また私たちのために世界を創造されたのです。
創世記から、神の愛と人の存在をここまで徹底して貫いて扱った本は珍しいだろう。少なくとも自分にはここまで深く創世記を読めなかったし、注釈本に出会ったこともなかった。聖書の読み方を改めて提示してくれて嬉しい。
ところで、ここからはkayakayaの私論なのだが、本書では、創世記は神話ではないと幾度も強調されている。しかし、kayakayaは創世記はやはり数ある神話の中の一つなのだと考えている。問題はそこから先だ。その神話にすぎないものが、自分にとってどのように意味があるのか、また、その神話に意味づけられているのか、が重要なのだと思う。唯一聖書だけが正しいものだ、と言い切ることは、自らを絶対視することで、それはひいては神をも超えることだ。意味を考えた、あるいは意味を与えられた中で、創世記が数ある神話の中で自分にとって絶対であると告白するなら、それはその人にとって真実であろう。
なお、著者の遠藤嘉信牧師は本年2007年6月にALSによって逝去された。今後、遠藤牧師の新しい著作を読めないのかと思うと残念でならない。
