2007-10-13
# 釜ケ崎と福音
神は貧しく小さい者といるのではなくて、貧しく小さく「された」人といると、筆者である本田哲朗神父は説く。では、小さくされた者とは誰か。現代の日本ではホームレスや日雇い労働者たち、本書では書かれていないが、ネットカフェ難民なども含まれるのだろう。聖書の中では、羊飼いや大工、漁師、テント職人などだった。どうして、羊飼いや漁師さんたちが小さくされた人たちなのか?という疑問が浮かぶかもしれない。新約聖書の時代のイスラエルは牧畜文化ではなく、農耕文化になっており、畑を横断する羊飼いらは邪魔ものだった。そして、ここからが重要だが、羊飼いは安息日に一定距離以上移動してはならないという律法を守ることが職業上できない。だから、ファリサイ派や律法学者から見れば、彼らは罪人である。また、血を扱うために、漁師やテント職人*1も罪人とされた。イエスの弟子には徴税人などの罪人がいると書かれているのはたいていのクリスチャンならご存知だと思うが、実はぺテロやアンデレの職業であった漁師もまた罪人なのであった。パウロがテント職人だったことも、彼もまた小さくされた側だったことになる。大工も、木工大工ではなく石切大工であり、絶えず粉塵を吸う危険性の高い職業だったため貧しい人がなる職業だった。主イエスもまたそんな貧しい大工の子だった。神はまさにそのような小さくされた貧しい人の側にいるのである。筆者は、そのような視座から聖書を読み直し、ヘブライ語やギリシャ語の聖書原典を通して、小さくされたものの側からの聖書を伝えてくれる。
ところで、キリスト者はそのような小さくされている者に伝道してと考えてしまうが、筆者からすればそれは、上から彼らを見下ろした視点であり、差別性があると指摘する。逆に、小さくされているものを通して福音が働くと言う。大切なことは、キリスト教を広めることではなく、福音が実践されること。極端な話、キリスト教でなくても良いのだ。そこに福音がなければ意味がない。
キリスト者ではなくてもぜひ読んでほしい一冊。
釜ケ崎と福音―神は貧しく小さくされた者と共に
岩波書店
¥ 2,625
*1 当時のテントは動物の革だったので血に触れる。
