kayakaya日記
Sep 01, 2007 (Sat)
# html_anchor.rbプラグインとmod_rewrite
html_anchor.rbプラグインを使っているのだが、日記を登録すると、404 Not Foundになってしまう。日記のアンカーをクリックしても404 Not Foundになる。html_ahchor.rbプラグインの説明書には.htaccessの編集の必要があると書かれているが、今まで運用していたtDiaryの日記では別段何もしていない。けれども、仕方がないのでここは手順書通りに.htaccessを適切に設定することにした。 .htaccessに以下の記述を追加する。ちなみにサーバはアイネット・ディー。
RewriteEngine on RewriteRule ^([0-9]+)\.html$ /home/77/xxxXXXX/www.kayakaya.net/d/index.rb?date=$1
参考にしたページはたださんの日記 tDiary with mod_rewrite
この通りにすると正常に動作した。ほっ。
Sep 02, 2007 (Sun)
# 聖餐について雑感
聖餐について個人的に思うことがあるので書いておく。kayakayaは聖餐はできれば毎週の主日礼拝ごとに執り行うべきだと考えている。その聖餐にはいろいろな側面があるので、一つ一つを簡単に取り上げてゆこう。
まず、聖餐という儀式は、主イエスの最後の晩餐を追体験できるものだ。それも1回だけではなくて、聖餐式毎に最後の晩餐を思い出させてくれる行事である。霊的な追体験と言えるだろう。
そして、ぶどう酒とパンに象徴されるイエスの血と体は、契約と贖罪、代償というキリスト教にとって3つの大きな意味を持つ。契約とは、主イエスの死によって、神<God>との新しい契約を指す。いわゆる新約聖書の新約である。このことは少しでもキリスト教をかじったことのある人なら分かるだろう。贖罪とは罪の赦しのこと。罪人であるとされる私たちが主イエスの死を媒介にして、罪を赦される。代償とは、主イエスの死そのもののこと。罪人である私たちのために命を捧げてくださったことを指す。ただ、正直、kayakayaは贖罪や代償のことはよく分からない。ただ、聖餐と贖罪とは密接につながっていることだけは理解しているつもりだ。ここでは、主イエスの死による新しい契約の成立と贖罪、代償を、聖餐が象徴していることを強調したい。
また、聖餐は信仰を、言葉だけではなく、五感で体験するという側面もある。イエスさまがそこにいるんだね、ということを霊的な感性だけではなく五感でも受けとめられる。このことも大切な要素だと思う。
このような聖餐はキリスト者にとってとても大切な儀式であるけれども、大事だからと言って金庫にしまっておくように、聖餐を滅多に行わない、というのは良くないと思う。大事だからこそ、毎週やってもいいはずだ。何しろ主日礼拝というのは、キリストの復活した曜日の礼拝だ。復活と十字架はセットである。また十字架と最後の晩餐もセットだ。主日の度に執り行って、キリストの霊的な存在を確認し、神さまとの契約があることを感謝し、五感で信仰を強める、これがkayakayaの考える聖餐だ。
わたしがあなたがたに伝えたことは、わたし自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、わたしの血によって立てられる新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念としてこのように行いなさい」と言われました。だから、あなあがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
コリント人への手紙第一11章23〜26
Sep 03, 2007 (Mon)
# 柳沢教授との再会
実はkayakayaはつい先日まで『天才柳沢教授の生活』が嫌いだった。
柳沢教授は、表面上はマニュアル人間だ。あるエピソードで、教授がスキーを初めてするときに、教授はマニュアル本を読みながらスキーをしていた。kayakayaにもそういう面が少しあるのだろうか、そのエピソードを読んで自分を馬鹿にされているような気がしたのだ。それ以来『天才柳沢教授の生活』を毛嫌いしていた。確か大学生の頃だったと記憶している。
それに変化が起きたのは、ふとした機会に『天才柳沢教授の生活傑作集』を読んだこと。自分が加齢に伴って丸くなったのか、よく分からないが、その時のkayakayaには『天才柳沢教授の生活』が、ユーモアと愛情たっぷりの漫画に思えた。
今『天才柳沢教授の生活』を「嫌いだった」と過去形で語れることが嬉しい。
Sep 04, 2007 (Tue)
# 『夜のピクニック』
よく高校生の心を描写している。青春小説の中でも傑作の一冊だと思う。ケータイもメールも登場しないから、これから十数年は読み継がれるのではないだろうか。それにしても80kmの歩行祭という短い時間に、たくさんのエピソードを盛り込んでいて、それが綿密につなぎ合わされている。スゴイと言うほかない。恩田陸の作品は初めてだが、別の作品もぜひ読んでみたくなる。
Sep 05, 2007 (Wed)
# 夕顔
夕顔の花が咲いた。夕方に開いて、翌朝にはしぼんでしまうから夕顔という名前らしい。朝顔より可憐で好きかな。
蕾の状態
夕顔と書いているが、実際にはヨルガオのことらしい。
- ヨルガオ
- ヒルガオ科の植物、学名はIpomoea alba
本物のユウガオはウリ科の植物で実はカンピョウなどの原料になる。
Sep 06, 2007 (Thu)
# 処女峰アンナプルナ
人類が初めて8000m峰を登頂した記録。 読んで感じたことは、1950年のアンナプルナ登攀は、登山よりも探検という言葉がふさわしい。まず、攻略すべき山嶺に関する正確な地図そのものがない。登山隊は地勢とルートを探査するだけで、何度もパーティを出して、偵察し、地図を作り上げてゆく。もちろん人工衛星もない時代だからGPSなんて便利な道具もない。全ては人の足と目で作られてゆく。そして、無線機の性能も良くなくて実用にならず、また気象衛星も存在しない。現代の観光化したエベレスト登山とは次元が異なるのだ。
ところでkayakayaは道のない山を登ったことがある。正確には冬山登山の時期に使われるルートを夏に登った。その時に使った国土地理院発行の地形図は実に正確だった。道は書いていなくても、等高線を読めば、脳内で山容をイメージできたし、現況も地図その通りだった。ただ、道はないから、どの方向に登るかは自分で判断しなければならない。行くべき方向を自分で決めるのだ。それだけでも大変だったのに、1950年のアンナプルナ登攀隊は、地図を作製し、ルートを拓いて、8000m峰を登った。実に想像を絶する。
登山に限った話しではないが、物事をなすには準備が必要だ。本書を読めばアンナプルナを征する時間の大半が偵察やキャンプ設営に費やされていることが分かるだろう。約3ヶ月の遠征期間のうち、ベースキャンプから登頂まではわずか数日なのだから。
Sep 07, 2007 (Fri)
# 鳥人間コンテスト
今年もやってまいりました鳥人間コンテスト。と書くと毎年見ているように見えるけれど、実は10年くらいみていなかったりする。大学生になって実家を出る前までは毎年実家のテレビで観ていたけれど、大学生の頃はテレビがなかったのでいつの間にか縁遠くなってしまった。
最近の鳥人間コンテストの機体はよく飛ぶ、と耳にしていたけれど、いざ実際に自分の目で見ると、やはりスゴイと思ってしまう。昔、見ていた頃の鳥人間コンテストは「飛ぶ」というよりは「落ちる」感じの機体が多かったけれど、現在のコンテストではまさに「鳥人間」で、きちんと揚力で飛んでいるのである。あと、気付いたのは飛ぶ機体は大学チームが多いこと。やはりきちんと計算できる人材がいて、製作できる空間を用意できるのは大学に限られてくるのだろうか。
ところで、鳥人間コンテストには、機体寸法を制限するクラスとしないクラスが存在するけれど、製作費用の上限はないのだろうか?どこかのお金持ちが炭素繊維などを使い、プロに設計させて機体をつくってしまったら飛ぶに違いない、などと勘ぐってしまう。
Sep 08, 2007 (Sat)
# ほぼ日手帳2008注文
気が付いたらほぼ日イトイ新聞がRSS配信していた。さっそくLDR(Livedoor Reader)で購読してみる。まず気が付いたのは、ほぼ日手帳の受付が始まったいたこと。そういえば友人のblogでヌメ革のカバーがほしい、と書いてあったことを思い出す。9月1日から受け付け開始だったみたい。すでに赤の皮カバーを持っているので、手帳本体セットだけを注文しておいた。10月上旬から発送されるらしいのでその時が楽しみである。注文してから気が付いたのは、今年から「ほぼ日の路線図」がオプションで注文できること。五大都市の路線図がついているから欲しいと思ったけれど、すでに手帳本体を頼んだ後だった。だがしかし、後から注文をまとめることが可能だったので、「ほぼ日の路線図」を追加注文し、手帳本体ととりまとめてもらった。これで送料を余分に取られることなく済んだ。ほっ。
ところで、ほぼ日ストアはOperaには対応していないらしい。カートに商品を入れても一切追加されない。Firefoxでは正常に動作してくれたので助かった。Operaは利用率が低いからなぁ、あまり文句も言えない。しくしく。
Sep 09, 2007 (Sun)
# 主日礼拝
事情があって在籍教会の教団の教会を去ることにした。それで、異なる教派の教会の礼拝に出席した。プロテスタントというくらいしか共通項がない。けれども、同じキリスト者の礼拝だし、同じ教団にこだわるよりも、今の自分に通えて信仰にも合う教会を見つけることが大事だと思って、その教会に行くことにした。聖餐式もきちんとしているし、主の祈りもあるし、おまけに悔い改めもある。きちんとした礼拝が守られているようだ。これなら通えるという実感を得たので嬉しい。もちろん、一月くらいは通わないと、教会の本当の姿は見えてこないので、これですべて済んだというわけにはいかないだろう。いずれにせよ、どこかに場所は用意されているのだ。そのことだけは安心して良いと思う。
Sep 10, 2007 (Mon)
# 時をかける少女(アニメ版)
本編が始まってしばらくは何て暇な映画なんだろう、と思いつつ眺めていたら、途中からとんでもない疾走感で映画が進み始めた。目を離す余裕などないくらい映画に集中させられる。映画そのものが「時をかけ」ているように思えた。kayakayaとしてはアニメーションでは久しぶりのhit。
主人公である女子高生、紺野真琴はタイムリープ、いわゆる時間を跳躍する力をふとした機会に持つが、あくまで自分の身の回りの時間帯にしかタイムリープしないところが面白い。この手のSFでは遠い過去や未来にジャンプするのが定番だけれども、『時をかける少女』ではそうなっていない。あくまで身近な時間帯だけなのだ。それが、この映画をSFぽい雰囲気ではなくて、青春ものの作風に仕上げている所以だろう。告白あり、恋あり、そして友情。青春映画に欠かせない要素は全部詰まっている。告白を巡ってタイムリープが繰り返されて、物語が大きく動いていく。そこが、この映画の魅力の一つだろう。
kayakayaは原作を知らないが、アニメ版を観て、読みたくなった。
ところで、映画の中でJ.S.バッハの「ゴルトベルク変奏曲」が効果的に使われていて、とても良い印象が残った。数あるクラシックの中でもバロックの変奏曲を選曲したところが巧いと思う。
Sep 11, 2007 (Tue)
# 歩数計電池交換
5月18日から使い始めた歩数計。梅田を歩いていると電池切れの表示が出た。その表示が出てもすぐに電池が切れるわけではなく、あくまで事前警告である。さっそくヨドバシカメラでCR2032の電池を購入し、自宅で寝る前に交換した。
ほぼ4ヶ月に1回交換すればよいことが分かった。次は来年の1月くらいかな。
タニタ(TANITA)
¥ 2,750
ちなみに、CR2032のCRというのは電池の規格で決められている記号である。Cは二酸化マンガンリチウム電池、Rは円筒またはボタン型電池の意味だ。
社団法人電池工業会の下記のページで詳しく説明されている。
Sep 12, 2007 (Wed)
# 数独初挑戦
新聞に週一で掲載されている数独に初挑戦してみた。結果は1ブロック残したところで手詰まり。経過時間は1時間半くらい。ちょうど先週の問題を解いていたので、本日付の新聞で答え合わせをすることができた。4つのミスで詰まってしまったようだ。コツをみつけるとスラスラと解答できるタイプのパズルだなという印象を持った。また、時々挑戦して脳トレしてみよっと。
Sep 13, 2007 (Thu)
# ビックバン宇宙論
サイモン・シン『ビッグバン宇宙論』を3日ほどで読了した。ビッグバン理論だけを扱っているのではないかと思って手を出さなかったのだが、人類の宇宙に対する認識から物語が始まっているので興味を惹かれた。まずは、ギリシャ時代の太陽中心説対地球中心説のエピソードが丁寧に書かれている。また、コペルニクスによるパラダイムシフト、それを根拠づけたガリレオの観測とケプラーとニュートンの理論もわかりやすく紹介されている。ビッグバン理論が宇宙背景輻射によって決定的になるまでの人間ドラマも面白い。科学とは、理論が提出されて、実験や観測によって根拠づけられるという、その過程を実に丁寧に書いている。本書は科学書でもあると同時に、いやそれ以上に人間ドラマを描写しているのだ。
ビッグバン理論やガリレオの成果、ニュートンの功績については、それらを個々に取り上げてる書籍の方が分かりやすいかもしれない。『ビッグバン宇宙論』においては、個別の事項については物足りなく感じることもあるだろう。けれども、本書はあくまで宇宙に関する科学史の本であり、また科学者たちの人間ドラマの本なのだと思う。そのことに留意すれば間違いなく楽しめるだろう。
Sep 14, 2007 (Fri)
# H2Aと円形の雲?
「かぐや」を搭載したH-IIA13号機が無事上がった。所用でリアルタイムでの中継が見られなかったので、帰宅してからライブ中継の録画を見る。動画を見て気づいたこととは、ロケットのフェアリングの少し下部から、円形の雲が出ているということ。Prandtl-Glauert Singularityに関連する雲かと思う。よく戦闘機の写真では見かけるけれど、ロケットの打ち上げで見たのは初めてかもしれない。少なくとも意識したのは初めてだ。Prandtl-Glauert SingularityはWikipediaで説明されている。
「かぐや」打ち上げの動画はJAXAが公開している。Flash Playerだけで見られるのが嬉しい。
Sep 16, 2007 (Sun)
# 聖餐のめぐみ
主日礼拝に出席。今日はちょうど月に2回ある聖餐式の日だった。聖餐を受けるめぐみを実にありがたく思う。2004年の年間聖句を思い出したので引用しておこう。
あなたがたは、主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストに結ばれて歩みなさい。
コロサイの信徒への手紙2章6節
聖餐とはイエスを主イエスとして受入れ、それを再確認する儀式という側面があると思う。そうでなければ、パンと葡萄酒はただの食べ物に過ぎない。パンと葡萄酒が主イエスの血と肉であるという信仰があるから、聖餐式は成り立つ。イエスを主イエスとして受け入れたのだから、引用聖句にあるように、主に結ばれて歩ませてもらう、それも聖餐のたびに、いや主日礼拝のたびに、いや一日一日を、主に結ばれて歩ませてもらうのだろう。その中でも聖餐は、イエス・キリストと結ばれるのが五感で分かりやすい。一日一日を主に感謝して生きるのがbestだろうけれど、聖餐や主日礼拝によって、再確認させてもらうことも大切だと思う。初心に帰る場所なんだろうな、と思う。
Sep 18, 2007 (Tue)
# 久しぶりのM33
夕食後に散歩していたら満天の星空だったので、帰宅してから、Canonのぶれんび~双眼鏡を持ち出して、近所で観望してみた。M31がくっきり見えたので、ひょっとしてM33もいけるかな、と思って、さんかく座のα星からアンドロメダα方面へたどってゆくとありましたありました。ほわぁとしたふわふわ感ただようところが実にM33らしい。自宅のすぐ近所からM33が双眼鏡で観られるなんて、星見ストには、良い住処かな。それでも街灯などがあるので、完全に暗順応させることは難しい。肉眼でM33を観るにはさすがに厳しいだろうね。
Sep 19, 2007 (Wed)
# ノモンハンの戦い
本書は、ノモンハン事件に関する、ソヴィエト側からの貴重な資料。最初の地図をみて気づくのは、日本側のそれと違って「国境線」の位置がそもそも異なる。たいていの日本側文献によって、ハルハ河が国境線だと思わせられているので、ここでまず面食らう。国境線が異なることは知識としては持っていても、実際に目の前に突き出させるとインパクトがある。
国境線をめぐっては、関東軍・満軍は、自らが国境線と定めたハルハ河を渡河し、モンゴル領内に侵攻している。しかし、ソヴィエト・モンゴル軍は、ハルハ河を越えた位置にある国境線を越えることなく、絶えず自国領土内で戦っている。些細なことだけれども、このような事実が、明らかにされることは大きい。ただし、両軍とも越境爆撃は行っている。
ソヴィエト側からの一方的な書き方だが、ノモンハン事件は、戦車など近代兵器を用いた包囲殲滅戦のお手本だったことが分かる。 半藤一利の『ノモンハンの夏』と合わせて読みたい一冊。
Sep 20, 2007 (Thu)
# リッチー・クレチアンへのあこがれと現用機への愛着
昼間から夕方にかけて快晴だったので、20cmシュミット・カセグレン(SC)望遠鏡を組み立てて、準備万全で臨んだが、いざ、夜になったら曇ってしまった。あらら。まぁ、天気相手のことだから仕方がないといえば仕方がない。素直に諦める。
最近、SC式にかわってミード社がリッチー・クレチアン(RC)式の望遠鏡を出している 。正確には准RC式だけれども、従来のSCに比べると、収差も少ない。すばる望遠鏡を始めとして、世界の大望遠鏡で使われているのもたいていRC光学系だ。それが個人で使えるような時代になって、ほしいなー、と思ってしまう。でも、中学生の頃から愛用しているC8-EXに愛着があるので、そうそう乗り換えることはないけれどね。もちろん、先立つものがないし。とにかく、今ある光学系でたくさん星をみることが大切。機材自慢してもはじまらない。星を見なければ意味がないもの。
Sep 22, 2007 (Sat)
# Ubuntuでブラザーの複合機から印刷する
下記のWebサイトからドライバをダウンロードする。当たり前だけれどもDebianパッケージを選択すること。
ダウンロードするファイルは以下の2種類
- LPR用ドライバ
- CUPS Wrapperドライバ
先に、LPR、次にCUPS Wrapperを入れるが、スプールのディレクトリを最初に作成しておく。プリンタ毎でディレクトリ名が異なるので、一度LPRドライバのインストールで怒られてからパスを確かめるとよい。
$ sudo mkdir -p /var/spool/lpd/dcp750 $ sudo dpkg -i dcp750cnlpr-1.0.0-9.i386.deb $ sudo dpkg -i dcp750cncupswrapper-1.0.0-10.i386.deb
これだけでプリンタが追加されている。なお、デフォルトではUSB接続になっている。プリンタをネットワーク接続している場合は、メニューの「システム」から「システム管理」を経て「 プリンタ」を表示する。ブラザーの複合機を選択し、プロパティから、「接続」のタブを開いて、プリンタの種類を「ローカルまたは検出されたプリンタ」を選ぶ。そして、ブラザーの複合機を選択して完了。
この後、テストページが印刷されれば成功。
Sep 23, 2007 (Sun)
# 沈む
昨夜、気持ちが沈んで、「神さまどうして」という嘆きとともに涙がぼろぼろ出てきた。仕事をすることもできないし、愛するひとに会うこともできない、うつ病の中でどれだけ過ごさなければいけないのか。人生の約1/6をうつとの闘病に費やしている。二人だとがんばれるけれど、一人では虚無になってしまう。何のために生きているのか。生きる意味は後から付いてくる、というけれど、後から、を待つ元気もない。生きるのに疲れてしまった。もちろん、自殺する気はないけれど、ただただため息をつきたくなる。
わたしの魂は息を奪われることを願い
骨にとどまる死を選ぶ。
もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。
ほうっておいてください。
わたしの一生は空しいのです。
ヨブ記7章15〜16節
# 浮かぶ
主任担任牧師が兼牧されている教会での礼拝説教のため、巡回牧師が説教をされた。
礼拝後の茶話会のときに、病気のことなどを巡回牧師に話をしてみた。牧師曰く「信仰があるから大丈夫ですよ」、kayakaya曰く「弱い信仰ですから」。それに対して牧師が「信仰が弱くても、神さんは強いから大丈夫やで」と一言。はっ、とした。肩の荷が降りた気がした。そうか、がんばらなくてもいいんだ。そのままでいいんだ、と改めて気づかされた。そう、神さまは強い、疲れたなら、何も考えずに、すがればよいのだ。祈れなければため息でもいい。たぶん、神さまがどこかで見てくれているだろう。そして、僕は一人ではない。
Sep 24, 2007 (Mon)
# オーケストラ・アンサンブル・金沢
23日日曜日の礼拝後に、シンフォーニーホールで催された、「オーケストラ・アンサンブル・金沢」の定期公演に行ってきた。演奏は良かったけれど、kayakayaの体調が悪くて、腹痛に悩まされて大変だった。プログラムの全曲を聴いた時点でアンコールを残して退散してトイレに駆け込む。せっかくのコンサートだったのに腹痛であまり覚えていない。モーツァルトの交響曲25番を期待していただけに残念。でも、goodな印象が残っているから、よしとしよう。
合わせてベートーヴェンの第5番「運命」もあったけれど、ピリオド楽器の演奏に慣れていたためか、ティンパニの音が気になった。ベートーヴェンの頃のティンパニは今より小ぶりで、堅い音を出す。またあまり残響が残らない。こうして比べてみると面白い。いずれ、ピリオド楽器の演奏会を聴きに行きたいものだ。
Sep 25, 2007 (Tue)
# ぶどうの木
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
ヨハネによる福音書15章5節
今週の礼拝での賛美歌で、ぶどうの木がテーマの曲があった。歌いながら、今は一人で生きているけれども、どこかで、人とつながっているのだと思って、とても嬉しくなった。それも主の恵みのうちに。同じ信仰を持っていて、いや持つことができて、本当に良かったな、と思う。もちろん、今も「神さまどうして」という気持ちは消えない。でも、何もしないで無関心になるよりも、神さまに訴えてつながりを持つほうがbetterだと思う。主につながっていれば、豊かに実を結ぶと書いてあるしね。
# Seahorse
GnuPGやSSH鍵を管理できるGNOMEのツール。鍵を管理するだけではなく、NautilusやgEditと統合されていて、文書を暗号化したり、復号化したりできる。さくっと試用してみたけれど、便利で良さげ。欲を言うならば、文書を復号化するときに、ファイルにではなく、結果をダイアログに表示してくれると良かった。kayakayaは各種パスワードを乱数で生成させて、GnuPGで管理しているので、そのような機能があればコンソールを使わずにすむからだ。コンソールも好きだけれど、パスワードを閲覧するためだけにコンソールを立ち上げるのはさすがに面倒だし*1。
*1 常にコンソールが開いているという矛盾にツッコミはなし
Sep 26, 2007 (Wed)
# ATI制限付きドライバでXGL描画を強制する
ATI制限付きドライバの環境でCompiz Fusionを動作させようと試みた。 参考にしたのは下記のWebページ
startxgl.xhの場所を/usr/bin/から/usr/local/binに変えただけで後は同じ。 その手順でATI制限付きドライバでComiz Fusionが動いてくれた。
が、喜んだのも束の間、Anthyが起動しない、GNOMEのテーマが有効にならない、と使いものにならず、結局、元に戻して、オープンソース版のATIドライバでCompiz Fusionを動かすことにした。何かが違うのだろうけれど、深追いするつもりもなく、黙ってGusty Gibbonを待つことにする。
Sep 27, 2007 (Thu)
# イエスを探す旅
日本キリスト教団の元牧師が著わした本。説教集からなり、とても読みやすい。著者は本書の中で、貧しくされた人、弾圧されている人、そのような低くされた人に焦点を当てて触れている。例えば、アウシュビッツで身代わりとなって獄死したコルペ神父、軍事政権、日本占領下で弾圧された韓国人牧師や詩人たち、あるいは公民権運動の黒人たちなど。そして、繰り返し、そのような人々とともに、イエスがおられるのだ、と説く。おそらく、そのような視点でいることがまさに「イエスを探す旅」なのだろう。また、プロテスタントの牧師でありながら、カトリックのことも頻繁に書いている。教派にとらわれない信仰がここにはある。
後、興味深かったのは、キレネ人シモンのこと。誰か、と問われれば、イエスの代わりに十字架を背負った人と紹介したら良いだろうか。拷問を受けたイエスがゴルゴタに行く途中、十字架の重さに耐え切れなくて倒れてしまうのだが、そこにいあわせたシモンがローマ兵に命じられて代わりに十字架をかつぐのである。そのシモンについて、マルコ福音書で「アレクサンドロとルフォスの父」と書かれている。通りすがりにしては、息子の名前まで登場するのは何か意味があるのだろう。また使徒言行録13章1節で「ニゲルと呼ばれるシメオン」という記述があることに触れている。ニゲルとは黒人のことで、キレネはアフリカの地名であるし、シモンとシメオンは同じ名前だ。そのことからキレネ人シモンは、キリストの信仰を持って初代教会にいたのではないかと大胆に述べる。このような聖書の読み方ができると嬉しくなる。自分もそうありたいものだな、と思わせられた。
最後に著者の信仰のスタンスともいうべき箇所を引用しよう。
イエスについて考えるということは、「自分はイエスと同じ道を歩めるか」という問いを自らに問いかけつづけることなのだと思います。
くれぐれも、神が書いた台本通りに進行する救済劇を眺めて喝采を送るようなことはやめたいと思います。
低くされた者と生きる、生きたイエスが本書を通じて現れてくる。
# 無人島に生きる十六人
明治時代にミッドウェー諸島のとある無人島に漂着した日本人の物語。日本人の漂流モノとしては井上靖『おろしや国酔夢譚』が有名だが、『おろしや国酔夢譚』が苦難を乗り越えるというイメージがあるが、本書はそういう感じがしない。もちろん漂流者たちは苦労をしているのだろうけれど、彼らは彼らなりに実に前向き*1なのだ。また軽妙な語り口なのも、読み手に苦労さを感じさせないのだろう。絶えず明るい雰囲気な漂流モノは珍しいと思う。あとは、絶対誰かに助けてもらえる、それまでは自分たちでがんばる、という意気込みが良く伝わってきて良い。今何かに悩んでいたり、壁に突き当たっている人にオススメな本。
*1 『おろしや国酔夢譚』の大黒屋光太夫たちが前向きではなったという意味ではない
Sep 28, 2007 (Fri)
# アウグスティヌス『告白』購入
アウグスティヌスの『告白』を読むつもりでいる。その筋の先輩によると、岩波文庫訳よりも、中央公論社の『世界の名著』シリーズの方が訳が良いらしく、そちらを買うことにした。しかし、岩波文庫は現在でも書店の本棚にあるが、『世界の名著』はすでに絶版である。そこでAmazonのマーケットプレイスを利用して、ほとんど新品の状態のものを約4,000円で入手した。高い気もするけれど、手元においてじっくり読む本なので納得はしている。都会のきちんとした古本屋ならもっとやすく手に入るだろうけれど、交通費の方が高くつくので、Amazonの方が実利的だ。BOOKOFFなどの新しい古本屋は全集を取り扱っていなかったりするので『告白』などが見つかる可能性は少ないし。
亡くなった祖父の家に、『世界の名著』が全集そろっていたけれど、いつだったかに処分したそうだ。今思うと誠に残念だ。
全然意図が違うだろうけれども、聖書を引用しておく。
何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
コヘレトの言葉3章1節
比較的正しく読み解くとすれば、すべてのことに定められた時があるならば、神の技が不変であるということだ。予定調和なのかどうかは分からないが、時は神のものである。
わたしは知った。
全て神の技は永遠に不変であり
付け加えることも除くことも許されていない、と。
神は人間が神をおそれ敬うように定められた
コヘレトの言葉3章14節
神の時間の中で、『告白』を読めるなら、幸いだ、と思う。
Sep 29, 2007 (Sat)
# 郵便局はやっぱり赤でしょ
所用で街に出かける途中、幾つかの郵便局の前を通る。民営化されるために郵便局の看板をリニューアルしていて、その看板は今まで白いカバーで覆われていた。今まで、どんなデザインなのだろうと気になっていた。それが今日、覆いが外されていて、赤い〒マークの下に、auの色のオレンジを背景にした看板が見えた。JP、おそらく、Japan Postの略のロゴと郵便局名が書かれていた。オレンジかぁ、と少し残念な気がした。郵便というとやっぱり赤のイメージがある。中途半端にオレンジなどにするよりも、どうせならまだ赤と青の組み合わせの方が良いと思った。ま、そのうちオレンジの看板にも慣れてしまうのだけれどもね。
年間聖句(2010年)
あながたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
新共同訳聖書ガラテヤの信徒への手紙3章26節You are all sons of God through faith in Christ Jesus. for all or you who were baptized into Christ have clothed youselves with Christ.
Galatians 3:26-27 (New International Version)




_ dontaro [数年前から読ませていただいています。信仰のことで参考にさせていただいたり、励まされています。 どちら教会に転会されて..]
_ kayakaya [dontaroさん、はじめまして。お祈りありがとうございます。dontaroさんの上にも祝福がありますように。]