kayakaya日記
Feb 08, 2010 (Mon)
# 『インターネットが死ぬ日』
インターネットが死ぬ日 (ハヤカワ新書juice)
早川書房
¥ 1,470
昨年話題になった本で一度半分読んで放置してしまったので再読した。インターネットを語る上で読んでおくべき一冊に違いない。さっさと読んでおかなった自分を叱らねば。
アメリカのサイバー法学者が書いていることもあり、レッシングの著作に似た雰囲気がある。技術的な事柄もきちんと説明してあるので、ごくごく普通のインターネット・カルチャーの知識があれば読んでしまえるだろう。日本の携帯を巡る青少年規制などは登場しないが、本書の文脈から外れた問題ではない。ケータイの問題も含めて読める。
最初にインターネットとパソコン通信の比較がある。この比較が重要でインターネットが肥沃なシステムであると説明する。パソコン通信は中央のシステムが管理するもので、ルールや秩序がある代わりに、ユーザは一切システムに変更を加えることができない。それに対してインターネットは秩序やルールはあるのか無いのか分からない状態だが、ユーザ自身がシステムに変更を加えつつ成長してきた。結果的にパソコン通信を駆逐してしまった。統一したルールや秩序がないにも関わらず。インターネットにはモーリス・ワームなどの危機もあったが、基本的にはゆるやかなコミュニティが規範を促す形でインターネットは維持されて成長した。そのインターネットの特徴こそが生み出す力の源泉であり、狭義のネットワークに限らず(層のモデルではネットワーク層という意味)、WikipediaやGNU/Linuxを生み出した場所になったわけだ。その反面スパム、ウィルスによる脅威によって、人々は自由に変更できる(つまりコードも悪さしやすい)肥沃なパソコンではなく、好き勝手に変更できないが「消毒された」iPhoneやXboxなどアプライアンスに向いつつあると言う。また、そのようなアプライアンスだけではなく、Web2.0のようなユーザが変更できないWebサービスも同様だと言う。そうすればインターネットの持つ「生み出す力」はどうなるのだろうか。「生み出す力」なくなればインターネットは死ぬと著者は危機意識を持つ。ぱっと出る解答はないものの、「生み出す力」したままのインターネットを模索している。
さて、このように、どこのブログにもありそうな紹介を書いておいて*1、注目したのはWikpediaのコミュニティ。一括りにコミュニティと書いてしまうと範囲が不明瞭になるがそこは置いておく。本書でもウィキペディアンくらいしか書いていない。生み出す力の条件として統制が取れていないゆるやかな秩序を挙げているが、Wikipediaのコミュニティをコミュニタリアンな方法を指摘している。乱暴な言い方をすればコミュニタリアンは自治を好むというか自治な人たちだ。コミュニティの文化や規範を何より大事にする。合わないものは排除するといってよい。それはWikipediaにも当てはまる。インターネット上のゆるい秩序の空間に生まれて、生み出す力の象徴ともされるWikipediaが何より内部の規範を重視している点が逆説的で面白い。もちろん規範は不変ではなく、置かれた状況によって変化してゆくものだが、それでも規範第一であることに変わりはなく、それがなければWikipediaは死ぬ。
コミュニティは素晴しいね、だけではなく。内部の規範が強ければ強いほど、一般のユーザとコミュニティの間に壁が生れてしまうことにもなる。もちろんWikipediaもライセンスの性質からすればスピンアウトすることは可能だ。ただ、自由なインターネットの中でコミュニティを維持しようとしているがために、コミュニタリアン的な要素を持ってしまうことは注目したい。生み出す力には多分にコミュニタリアン的な要素があるのではないかと思う。生み出す力には、ユーザ自らが変えうる規範を生み出す力を含んでいるのだろう*2。少なくとも僕はそう読んだ。
最後に自戒を込めて一節を引用しよう。
「肥沃なシステムを養護する人は、生みだす力の成功に伴うマイナスをあえて無視する。肥沃なシステムは大きく成功して一般に普及したがゆえに危険な状況にある。」
時に僕もマイナスを無視しがち。それを修正してくれる『インターネットが死ぬ日』は読む価値があった。いろいろな面を解説している点も良い。プライバシーや国家権力の監視との兼ね合いなどはアメリカのサイバー法学者でなければ書けなかったのではないだろうか。日本のインターネット本とはまた違った味わいのある本。これが1,400円の新書だなんて信じられないほどお得感がある。オススメ。
# 何年かぶりにアナログ時計を購入
机用にアナログ式の置時計がほしかったので、無印良品のアラームクロックを購入しました。実は僕はデジタルの時計では時間を掴むのが苦手です。今が何時何分かは見れば分かるのですが、時刻が分かったとしても予定時刻まであと何分なのか、また今は夜のだいたい何時くらいなのかをデジタル時計でぱっと把握しにくいのです。それでデスクトップにDashboardを使ってアナログ時計を常に表示していたのですが、やはり実物のほうが良いだろうと購入に至りました。邪魔になるかなぁと心配してましたが、見ての通り小型ですから大丈夫そうです。iPhoneやトトロのお手玉と比べても小さいことが分かりますね*1。
時計の針が見やすいのがありがたいです。しかし、内部の作りは安っぽいところも。この辺りは2,100円の値段相応なところでしょうか。単三の乾電池を入れるのにちょっと手こずりました。バネが強すぎてはめにくいのですね。個体差なのか製品全体の特徴なのかは分かりませんが。あと、アラーム機能は使わないので、よくベルが上についてるタイプは選択肢にありませんでした。ともあれ、これで時間認識が楽になるはずです。
*1 トトロのお手玉を紹介したくてエントリを書いたような写真かも…
Feb 06, 2010 (Sat)
# 「HAYABUSA」を鑑賞
大阪市立科学館にてHAYABUSAを鑑賞しました。プラネタリウムでプラネタリウム以外の番組を見ることは稀なのですが、HAYABUSAは別格です。と言うのもお世話になった方が制作に関わっていることもあるので僕にとって観たい/観なきゃ番組なのですね。そして、あの「はやぶさ」がテーマですから。
番組の中身は実際に観てもらうとして、技術的描写で印象に残ったシーンを一つ挙げると地球スイングバイのところです。四角い枠をドミノのように並べて、その回廊を「はやぶさ」が通過してゆくのですね。それほどコースがシビアなんだという演出でしょう。スイングバイの原理云々ではなく「はやぶさ」を飛ばすことも難しいことがきちんと伝わってきます。
番組は5月30日まで投影されるそうなので(投影期間延長に次ぐ延長です)、観てない方はぜひ科学館へどーぞ。6月には「はやぶさ」が地球へ帰ってきますし。
# 国立国際美術館「絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から」を鑑賞
科学館の向いにあるのが国立国際美術館。移転5周年記念の特別展「絵画の庭 ゼロ年代日本の地平から」が催されていたのでついでに見てきました。現代アートちっく(そのものかも?)な絵画ばかりなので、うーむ何じゃこりゃ、でも、面白い作品もあるなぁーと分かったような分からないような状態で館内を周りました。
印象に残ったものを挙げると、奈良美智、厚地朋子、後藤靖香、中山玲佳でした。奈良美智はメジャーな人ですから当然かもしれませんが、知らない画家さんの作品もへーと眺められたのは良かったです。特に中山玲佳のSafarismシリーズはずーっと眺めていたかったかも。とは云え、興味が分かない作品もたくさんあるわけで足早に周ることになります。この辺りは仕方ないですね。
たまに美術館で絵を見ると、なぜかほっとします。また、どこかに行ってみるとしますか。
Feb 05, 2010 (Fri)
# 光の教会—安藤忠雄の現場
「光の教会」として知られる日本基督教団茨木春日丘教会建築のドキュメンタリー本。この教会が安藤忠雄の手によるもので、その筋の人には有名であるとの知識はあったが、そもそも教会側がお金がないから安藤忠雄に依頼したというのは驚きで、この本を読んで初めて知った。
本書は安藤忠雄の話だとばかり思っていたが、実はそうではなくて施主(教会員、牧師)、施工(建築会社)、設計(安藤忠雄の建築事務所、安藤忠雄)の三者で進む。特に実際に建物を造る建築会社に多くのページが割かれていた。会堂建築に少しだが関ったこともあるので、やや教会の動きに感情移入して読んだ。というか教会の裏事情をすぐに察っして読めてしまった。
教会堂の建築にあたって安藤忠雄は空調を重視していない。冬は寒いし夏は暑いというのは現在の教会では考えにくい。高齢者の信徒が多いので空調は最優先で考えるだろう。それに対して、安藤忠雄は寒ければそれでいいと言うのだから、面白いというか彼の建物に対する考えかたが伝わってくる。不便さがないとダメなんだという所だろうか。そこでしばらく生活したり礼拝をしてゆくうちに、使い物になるのが建物なのだろう。安藤忠雄はそういった考えを施主に主張するのだが、施主からある程度信頼されてないとできないことだ。建築を進めてゆくうちに、教会の安藤忠雄への不満なども出てくるのだが、何だかんだ云って、教会側は会堂のデザインに関して安藤忠雄に全面的に委ねている。それをまとめられる教会の建築委員会の働きは素晴しいと思った。
「建築の機能の点ではいろいろと注文はできるけれど、デザイン面などで文句をつけるのではれば安藤忠雄さんに設計を依頼する意味がなくなってしまう。」
教会内の会議で、井関完二・建築委員長が発した言葉。安藤忠雄という建築家に頼む意味について的確に表わしている言葉でしょう。けして口数が多くなく見守るタイプの人らしいが、こういった発言に重みを感じる。本のどこにも出てきていないけれど、神は井関委員長という適任の人をその場に遣わしたのではなかろうかと思った。教会は神の家であって、どこかに神の働きがあるのではなかろうかと。
ところで、安藤忠雄はこう言っている。
「依頼する人と、つくる人と、使う人は違うわけですね。しかしプリミティブには、つくる人、使う人、と、一緒というのがいいなぁと」
僕の中の安藤忠雄のイメージは、コンクリート打ちっ放しで無機質で(そうなんだが)、そして自分の主張をばーんと貫くだけの人だった。本書を読むと実はそうでもなかった。引用した言葉を実現しようとあがいている人に思えた。その方法論やデザインに好き嫌いはあるだろう。それを差し引いても教会堂の建築という過程を通して為人を掴めたのではないかと思う。そして建築家の仕事というものを垣間見た一冊だった。
Feb 02, 2010 (Tue)
# 北緯35度、東経135度にもっとも近い加古川線
祖母に会うために姫路の北の方まで行ってきました。帰りは加古川線というローカル線経由で帰宅したのですが、加古川線は西脇市を通っているのですね。勘が良い人は気付いたと思いますが、西脇市は日本のへそ、北緯35度、東経135度の交点にあります。加古川線は交点のすぐ側を子午線にそって走ってるのです。GPSロガーを持って旅する人にはたまらないうはうはな場所です。聖地巡礼ですね。日本のへそにはGPS分を補充するために時々行きますが、加古川線は初めて。こんな機会でもなければ乗る機会がないので制覇してみました。ちなみに、祖母の住んでる町から最寄り駅まで5時間半の旅になりました。同じ県内とは思えませんねぇ。
Feb 01, 2010 (Mon)
# 北谷直樹さんのチェンバロリサイタルに行ってきました
(1日のコンサート感想を3日深夜に書いてます)
北谷直樹のチェンバロリサイタルに行ってきました。実はリサイタルの情報を知るまで北谷直樹さんのお名前も知らなかったのですね。リサイタルはチェンバリスト中田聖子さんのブログとTwitterでオススメされていて知りました。さすがオススメのことだけありまして、聴きに行って正解でした。
実にわくわくどきどきな演奏会。緻密に踊っている感じの演奏でしょうか。とにかく脳内が"まじですかー"であふれたほどすごかったです。会場は酒蔵を改造したホールでフラットな床面に200人ほど収容の区間です。ですから当然奏者と聞き手の距離が近くなります。あれより広いと音も変ってきてしまうのだろうなぁと思うとちょうど良い空間だったように思えます。休憩時間の調律風景を眺めにチェンバロのところまで行ってみたですが、チェンバロは小本当に小さく見えますね。特に初期フレンチモデルはかわいらしいほどに。
北谷直樹さんはチューリヒ在住で日本でのソロのチェンバロ演奏会は今回が初めてだったとか。日本では活動をあまりされていない感じなので演奏の割に知名度が低いのかもしれません。知る人ぞ知るなのでしょう。もっと活動の場所が広がると聴けるようになって良いなぁと思ったのでした。
そういえば、僕はクープランが好きらしいです。組曲ニ短調とハ長調がいたく気に入りました。
年間聖句(2010年)
あながたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
新共同訳聖書ガラテヤの信徒への手紙3章26節
You are all sons of God through faith in Christ Jesus. for all or you who were baptized into Christ have clothed youselves with Christ.
Galatians 3:26-27 (New International Version)

